幸福は搾取されている~働く幸福の搾取構造(松島紀三男)
従業員は経済的のみならず幸福も搾取されている
労働者が経済的に搾取されていることを明らかにしたのはマルクスの功績ですが、
「経済的のみならず、精神的な幸福もまた搾取されている」
というのが私の考えです。
資本家、経営者は雇用する労働者の産み出した剰余価値を再投資することで資本の蓄積をすすめ、さらなる価値の拡大ができますが、
幸福も同様に、資本の蓄積によって一人一人の働きの成果の合計を遥かに上回る成果、生産活動の相乗的価値を独占することができ、
資本家、経営者は雇用する従業員に比べて比較にならないほど大きな幸福感を得ることができます。
これは生産手段に組み込まれ細かく切り刻まれた
労働者の幸福感の疎外を糧にして獲得できた報酬なのです。
近年「やりがいの搾取」ということが問題となっており、学術的にも研究対象になっています。
従業員が与えられた労働条件を度外視して自然発生的に仕事に打ち込んで、より大きな成果を企業にもたらすことが正しく賃金に反映されないことが問題とされているのです。
経済的な搾取も幸福感を損なうものと考えれば、労働者は経済面と精神面において、二重に搾取されていると言えるでしょう。
多くの日本の経営者は自らが清貧である(そうでない人もいっぱいいますが)ことを誇りにしていて、それで良しとしている人が多いように見受けられます。しかし私はさらに一歩進めて従業員の幸福を搾取しているという自覚が必要だと思います。
未熟な経営者ほど「自分は土日も働いてちっとも休みたいとは思わない。早く帰りたいとか休みたいとか言う社員の気が知れない」などと平気で言います。語るに落ちる話です。なぜ自分が土日も休日も厭わず働こうと言う精神状態を持ち得るのか、なぜ働くのが楽しくてたまらないのか、そういうことへの自己洞察が不足しているのです。大きなものを所有し、しかもそれがほとんど自分の自由裁量になるということのありがたさの多くの部分が従業員のおかげで成り立っているということへの感謝、謙虚さが薄いと思うのです。 この部分が経営者と従業員では決定的に違います。自分が24時間働いていて楽しいからといって、この条件の違いに抜きにして従業員にも同じ働くことへのコミットメントを求めようというのは虫がいい話です。
経営者の大きな幸福の裏側には多数の従業員を雇用する責任や経営のリスクの負担もありますが、
それも含めて一人では成し得ない大きな存在を動かしていると言う自己効力感、精神の高揚は他では得られないものがあると思います。
経営者は、そういう従業員の精神的な成果を搾取していると言うことを自覚して、
自己の幸福の母たる従業員への感謝、謙虚さ、自己を律する倫理観をもって経営にあたる責任があると思います。
そして従業員の疎外された幸福、自らが搾取した幸福を、報酬体系を工夫して、いかに従業員に還元するかを考える、従業員の幸福度を高めるように仕事の仕組みを工夫するなどの努力を常に考える必要があると思います。
(松島 紀三男)