アラン「幸福になる義務」
「幸福であることが他人に対しても義務であることは、十分に言われていない。
幸福になるという誓い以上に、愛のうちにおける奥深いものは何もないのである。
自分の愛する人たちの倦怠、悲しみ、不幸以上に、克服し難いものがあろうか。
男も女もすべて、幸福というものは、といっても自分のために獲得する幸福のことだが、
それはもっとも美しく、最も気前のいい捧げ物であるということを、
たえず考えるべきであろう。」
(アラン,『幸福論』,白井健三郎 訳)
「幸福になる義務」
アランのこの言葉を初めて読んだとき、
「そこまで言うか!」アラン先生、気分が高揚して、筆が滑ってはいませんか!?
そう思ったものですが、今は私なりにその意味がはっきりとわかるのです。
アランが思い描いた文脈とは違うかもしれないけれども、実感を持って大切なことだと思います。
人にとって一番悲しく辛いのは愛する人が不幸に見舞われること、
悲しみに打ちひしがれていることだと思うのです。
自分が遭遇する試練や苦難は、自らが引き受ければすむことです。
しかし自分以外の人間が不幸な境遇に陥り悲しんでいることには、
いくら手を差し伸べようと思っても限界があります。
自己犠牲の限りを尽くし、その人のためになろうとしても、
本人にはどうしても取って代わることはできないのです。
だから自分のために、もどかしく悲しみ苦しみを抱いている人のためには、
自分ではどうにもならないことも色あるけれど、
自らが置かれた境遇の中で、
幸せになろうと最善を尽くすことが義務であると思います。