マクロ幸福論の視点から社会全体の「最大多数の最大幸福」実現の仕組みを構想したベンサム

定量的マクロ幸福論の開祖にして「最大多数の最大幸福」実現の政治体制まで構想したベンサム

市民革命の理論をリードしたベンサム

市民革命が幸福革命の時代となることを、理論的に準備したと言えるのが啓蒙思想です。イギリスから始まり、フランス、ドイツなど、ヨーロッパ全土に広がり、市民革命の時代にかけて多くの思想家が活躍しました。

ここでは、市民革命の時代の幸福論を代表する思想家として、ジェレミー・ベンサム(一七四八-一八三二)を取り上げたいと思います。

  ベンサムはイギリス啓蒙主義の思想家、ホッブズ、ロック、ヒュームと続く、イギリス経験論の思想を発展させ、「功利主義」の原理に基づく幸福論の体系、それを具現化する政治思想、法律や議会、統治機構の仕組みまで具体的に構想しました。

最も市民革命の理想を幸福論として体現した思想家がベンサムであり、かつそれを実現する政治改革の運動までを組織し、盟友、ジェームズ・ミル(一七七三-一八三六)と共に、主導的役割を果たしました。

ベンサムの幸福論は、彼がスローガンとした「最大多数の最大幸福」に最もよく表現されています。

「最大多数の最大幸福」は、市民革命の時代、啓蒙思想家共通の合言葉でしたが、今日、この言葉はベンサムの思想として記憶に留めている方が多いと思います。

「最大多数の最大幸福」という言葉は、ベンサムの独創ではありませんが、 この言葉をスローガンとして、望ましい政治、経済のあり方を具体的に考案し、その実現のために生涯をかけて行動した人です。

 ベンサムの思想全体が幸福論と言って差し支えないのですが、幸福論の観点から、筆者の考えるベンサムの功績は以下の三つと考えています。

①「最大多数の最大幸福」を原理として、マクロ的視点から社会全体の人々の幸福を考える思想を体系化したこと

②「最大多数の最大幸福」を定量的に計算する「幸福計算式」を考案し、幸福を一元的に定量化する発想を産み出したこと

③「最大多数の最大幸福」を実現するために、立法、行政、司法の制度を考案し、実際にイギリスの政治改革運動を理論面で主導したこと

 ジェレミー・ベンサムは、一般的に「功利主義」の開祖として広く知られています。「功利主義」と目される考え方を持った思想家は、ホッブズ、ロック、ハチソン、ヒュームなど、17世紀から18世紀にかけて数多く存在しましたが、体系的な思想として「功利主義」を確立したのはベンサムの功績と言えるでしょう。

「功利主義」とは、英語の「Utilitarianism」を日本語に訳したものですが、結果として生ずる「功利」(utility=効用) が最大化することを、社会的善悪の基準とする考え方です。ところで、日本語で「功利主義」という言葉が定着して久しいのですが、何か打算的なイメージがある言葉です。

 山田孝雄は「これは公益主義、公福主義と和訳すべきであったのが、井上哲次郎が誤って、荀子が中国戦国時代に自己の利益功名をはかるのを『功利』といったのを、彼がそのままベンサムの思想にあてはめたが大変な誤りである」 と述べています。

本書では混乱を避けるために、一般に普及している「功利主義」という言葉を用いますが、意味合いとしては、結果として、人々の最大多数の最大幸福を実現することを目的とする思想です。

ベンサムの幸福論の特長

ベンサムの「功利」の原理に基づく幸福論の特徴は、以下の5点の点にまとめることができるでしょう。

①快楽説

②現世の幸福

③帰結主義

④禁欲主義の否定

⑤幸福を定量的快に一元化

①快楽説

ベンサムの幸福論はいわゆる「快楽説」の典型とされます。

「快楽説」の特徴はすでに幸福に関する三つの学説の所で述べましたが、ベンサムの「快楽説」としての幸福の定義は、次のように要約できるでしょう。

・人間は苦痛と快楽という二つの要素に支配されており、苦痛と快楽が幸福の構造を生み出している。

・人間の行為の目的、行動選択の決定要因、善悪の基準は、苦痛と快楽だけである

・功利性とは、利益、便宜、快楽、善、幸福(これらはすべて同義とする)を生みだし、または、危害、苦痛、害悪、不幸(これらも同義)が起こることを防止する性質を意味する。

・功利性の原理は、人々の幸福を促進し増大させるか、それとも減少させるかによって、行為の価値を判断する原理である。

(参考文献;ジェレミー・ベンサム 『道徳および立法の諸原理序説』世界の名著ベンサム J.S.ミル 中央公論社, pp81-83)

ベンサムの「快楽説」は、当時から現在に至るまで、支持者も集める一方、しばしば激しい非難にさらされてきましたが、「快楽」という言葉を誤解した、取るに足らないものは別として、幸福を「快」という概念に一元化することを、どのように評価するかで立場が分かれると考えます。

ベンサムは崇高な善から低級な快楽まで、好ましいもの、利益、善、幸福など、人間にとって有益(「功利」utility=効用)な価値のあるものを一元的「快楽」として操作できることに科学的価値を見出したと言えるでしょう。

②現世の幸福

ベンサムは、あくまで幸福とは「現世の幸福」であり、来世の幸福といった、宗教的幸福観を認めないことも大きな特徴です。ベンサムに限らず、市民革命前後の思想家たちは、無神論的傾向が強く、市民の力で社会変革を行い、自由で平等な現世の幸福を謳歌することを理想としました。

中世のヨーロッパ社会は、キリスト教の権威が非常に強く、宗教革命の時代になっても、現世の政治体制を是認し、王制の権威、貴族による土地所有と言う社会構造を追認する傾向が一般的でした。

中世の宗教による幸福は、一定のソーシャルキャピタルという資産を形成し、 民衆に対するソーシャルサポートの機能を提供することで、現世の幸福にも、大いに貢献しましたが、少数の支配者による富、現世的幸福の独占、大多数を占める農民などの庶民階級の抑圧という社会構造は温存されました。そのため、現世的幸福の諦めと来世の幸福という、専ら「解釈による精神的幸福」を人々にもたらすことしかできなかったのです。

ベンサムは唯物論者、無神論者の立場から、宗教の中でも、とりわけキリスト教的幸福感を徹底的に否定しました。明確に来世の存在を否定し、現世での苦しみを受けるほど、来世での幸福は大きなものになるという幸福観を全くの虚偽であると拒絶しました。

この点は同じ唯物論者であるマルクスと共通していますが、マルクスが「宗教はアヘン」と断じ、宗教の信仰そのものを反社会的なものと否定したのに対し、ベンサムは信教の自由、宗教的幸福の信仰は認める立場を取りました。

③禁欲主義の否定

ベンサムは禁欲主義にも哲学的禁欲主義と宗教的禁欲主義の二つがあるとし、そのいずれも、幸福を妨げるものとして否定していますが、宗教的禁欲主義は、哲学的な禁欲主義よりも、禁欲主義が一層徹底、首尾一貫しており愚かであるとしました。

ベンサムは、哲学的禁欲主義は洗練された快楽、すなわちアリストテレス的な精神性の高い幸福は大切にし、一方苦痛はせいぜいどうでも良いことのように考えたが、宗教的禁欲主義は、苦痛を自ら招くことを価値あること、義務であることのように考えたと述べています。

ベンサムによる宗教的禁欲主義の批判は徹底しており、来世の処罰という迷信による恐怖で、知性のない愚かな人々に禁欲を強いるものだとしました。ここでいう宗教というのがキリスト教を指しているのは明らかであり、敬虔なキリスト教徒にとっては、誠に身も蓋もない言い方です。

幸福を論ずる哲学者、宗教家の多くは禁欲主義という点で共通しています。すなわち欲求の基準を「性格設計」によって抑制的にコントロールすることで幸福感を獲得させようとしました。

それに対して、ベンサムの思想は、禁欲主義を、欲求を抑圧することで幸福を制限する装置と捉え、自然な欲求の発露による、幸福の追求を可能とする社会を実現することが重要だと考えたのです。

④帰結主義

結果としての善(すなわち幸福)の最大化を重視するので、功利主義は帰結主義の典型とされます。帰結主義については、エピクロスの快楽主義でも触れました。

⑤幸福を定量的快に一元化

ベンサムは、快楽をプラスの価値を持つ幸福、苦痛をマイナスの価値を持つ幸福とし、相殺可能な尺度とすることで、総幸福量を一元的尺度で、定量的に算出することを可能としました。

功利主義に対して、「功利主義の原理はより多くの人々の幸福のためには少数を犠牲にする思想だ」という批判がなされる場合があります。

ベンサムのいう功利主義は、決して多数の幸福のためには少数を犠牲にしてもかまわないという考え方ではありません。少数の犠牲は幸福な人数を減少させ、幸福の総和を減衰させるため、結局、最大多数の最大幸福を阻害するとベンサムは考えました。

 簡単な例で考えてみましょう。

3人が幸福になるために、1人が犠牲になって、不幸になっているとします。

Aさんは4、Bさんは1、Cさんは1の快楽を持っているが、Dさんは苦痛を感じているので-1とすると、

総幸福量は、4+1+1-1=5

Aさんの快楽は4で、余裕があるので、Dさんに1の快楽を分けてあげるとすると、

Aさんは3、Bさん、Cさんは変わらず1の快楽を持っているが、Dさんの苦痛は消えて逆に快楽は1となりますから、

総幸福量は、3+1+1+1=6 となり、

全体の幸福量の総和は増えています。

幸福の再分配をすることによって、3人に幸福が偏在していた時より幸福な人数は4人に増えて、幸福量の総和は増大します。

すなわち、ベンサムの幸福論は、所得の再分配の機能、今日の社会福祉の思想を持っていたのです。

ベンサムの先進的議会改革案

ベンサムは「最大多数の最大幸福」を具現化するために、今日の民主政治の基礎と言える、間接民主制による議会制民主主義の制度構想から政治改革の運動までリードしました。ベンサムが提唱した「急進的議会改革案」で、今日でも輝きを失っていない重要な提案には次のようなものがあります。

①普通選挙の実現

選挙権を拡大し、財産や納税額による選挙権の制限を撤廃すること。

②秘密投票制

無記名による秘密投票の実現。

※当時のイギリスでは口頭による公開投票で、有権者の秘密は守られていませんでした。

③平等選挙区制

理不尽な選挙区割りによる定数不均衡を是正し、一票の効果と価値を平等にすること。

※ベンサムは一票の格差は二倍を超えてはならないとしました。

④議会及び行政組織の議事録作成と情報公開

議会と行政組織は必ず議事録を作成し、行政組織はあらゆる情報を自ら積極的に公開。

※行政情報公開はほとんどなく、秘密主義が跋扈していました。ベンサムは公文書の記録・公開を非常に重視していました。

⑤議員の議会出席の義務化、時間厳守、絶対化

議員の議会出席を義務付け、報酬は日当制とし、出席簿を選挙民に公開。

⑥買収、供応の禁止

※公然と議席の売買が行われ、有権者の送迎なども行われていました。

⑦議員の世襲禁止

※議席が世襲財産化していました。

⑧世論法廷の形成と重視

世論法廷は、議会の傍聴者、行政府と関係ある市民、政治問題に関する大衆集会、あらゆる公職者の発言や発表された文書について、行動ないし発言を行おうとする全ての市民によって形成。

※世論法廷形成の条件は、情報公開の徹底と、マスメディアの機能にあり、ベンサムは新聞社の役割を非常に重視していました。

彼はこのような制度を、市民の代表としての間接民主制による民意の実現、政治腐敗防止、すなわち「最大多数の最大幸福」実現に不可欠と考えました。

逆に言うと、当時のイギリスでは、議会があったとはいえ、このような議会と行政が全く実現されていないものだったということです。貴族や大地主の世襲によって政治が私物化され、少数の支配者たちによって富、幸福が独占されている、そのような状況であったイギリスをなんとか平等な社会にしたい、それがベンサムの理想であったのです。

ベンサムが改革の対象としたのは、19世紀のイギリスの政治でしたが、21世紀の日本は、ベンサムの理想を、どれほど実現できているでしょうか。

ますます混迷を極める日本の政治状況を見ると、民主政治の理想実現はおろか、後退さえしていると思える昨今、ベンサムの議会制度、行政組織構想の先進性に驚かされます。

 ベンサムは、コスモポリタンの理想主義者であり、植民地や奴隷制にも反対し、その解放を訴えています。

現代の幸福度調査を先取りしたベンサム

ベンサムの思想は、幸福を快楽と苦痛という、一元的な尺度に還元して捉えようという思想が徹底していたため、しばしば「悪臭を放つ哲学」「豚の論理」などと批判されました。

そのため、ベンサムの正当な後継者であり、功利主義の中興の祖と言うべき J・S・ミル(一八〇六-一八七三)は、功利主義に対する誤解を解くため、快楽には、アリストテレス的理想主義が志向する最高善、芸術的感動、社会事業、自己犠牲による利他的な貢献の喜び等、「豚」以上の高級な快楽も含まれ、人間はそのような快楽を積極的に獲得しようとする存在だとしました。

ベンサムは、快楽には反社会的なもの、低次元なものから精神性、徳の高いものまで、多様なものであることを認めていましたが、快楽の質的な違いには関知せず、それらは人々の自由な選択に任せる立場をとったと言えるでしょう。

幸福を快楽一色として捉えるというのではなく、人々の理性による選択に任せるという、自由を尊重する思想であったと考えます。幸福は主観的価値とされ、その内容は問題とされず、幸福すなわち快楽の大小の量的価値尺度が重要視されます。

ベンサムかそれまでの幸福学者たちと一線を画し革新的と考えるのは、まさにこの点で、定量的な発想、マクロ的視点で、社会全体の人々の幸福の総和を最大化することを政治の使命、経済の重要な役割と考えたということにあります。

今日世界中で数多く行われている幸福度調査は、結果としてベンサムの幸福計算の考え方にのっとったものと考えます。幸福学説としてベンサムの思想を支持するかどうかを問わず、現在行われている調査のほぼ全てが、各種の指標を数値で一元化し、それを定量的変量で表しているからです。

ベンサムの思想の実用的妥当性は画期的であると考えます。このことは、幸福の定義に関して諸々の欠陥を指摘することはできても、結局のところベンサムの考える幸福計算なるものが結果的に支持されているということを示す証左に他ならないと考えます。

(松島 紀三男 イーハピネス株式会社 代表取締役)

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