ヒルティ『幸福論』「未来は働く人のものであり、社会の主人はいかなる時代にも常に勤労である」
「未来は働く人のものであり、社会の主人はいかなる時代にも常に勤労である。」
(ヒルティ、草間平作 訳『幸福論』第一部、岩波文庫、p.30)
昨日の記事では、アランを引用させていただきましたが、
本日は同じ三大幸福論の著者の一人、ヒルティを引用させていただきます。
ヒルティの幸福論は、敬虔なプロテスタントであることが強調される場合も多いのですが、
実は、仕事をする上で、極めて実務的な示唆に富んでおり、非常に実践的です。
ヒルティは学者であるばかりでなく、正義感あふれる法律の実務家、政治家としても非常に優れた人であっただけに、自身の実務から得た仕事術の数々は、今でも我々が学ぶべき点が多々あると感じます。
従業員幸福度の観点からは、マルクス、アランと同じく、賃労働の雇用契約によって働く従業員の幸福が、本質的に労働の喜び、幸せを疎外するものであること鋭く突いています。
ヒルティは「仕事の上手な仕方」という一節で、次のように述べています。
(仕事の成果を実感できないことが※筆者補筆)なぜ機械を使用する仕事や、機械的で部分的な仕事が、総じて人を満足させること少なく、工場労働者に比べて、なぜ職人や農夫の方かはるかに多く満足を感じるか、ということの理由でもある。だから、社会的不安は、工場労働者によって初めて世に現われたのだ。工場労働者は、自分の労働の成果を見ることがあまりに少ない。仕事をするのは機械であって、彼はただこれに従属する道具にすぎない。あるいは、いつもただ小さな歯車か何かをつくる手伝いをするだけで、決して時計全体を作ることはない、しかも時計は楽しい芸術品で、人間らしい真実の仕事の成果なのに。このような機械的労働は、どんなつまらぬ者もみな持っている「人間の尊厳」の観念に反し、決してひとを満足させるものではない。
これに反して、我を忘れて自分の仕事に完全に没頭することのできる働きびとは、最も幸福である。たとえば、ある題材を得てこれを表現しようとする時、全精神をその対象に打ち込まずにはいられない芸術家や、自分の専門以外はほとんど何物も目に入らない学者や、いな、ときには最もせまい活動範囲に自己の小天地を築きあげている、いろんな種類の「変わり者」でさえ、この上なく幸福なのである。
彼らはすべてー客観的にいえばおそらく間違っているかも知れないが-仕事をしているのだ、真実の、有益な、社会のためになくてはならぬ仕事をしているので、決して遊戯にふけっているのではないのだ、と考えているのである。
(中略)
今日の社会ではます第一に必要なことは、有益な仕事は、例外なく、すべての人々の心身の健康のために、従ってまた彼等の幸福のために、必要欠くべからざるものだ、という認識と経験とが広く世に普及することである。
(ヒルティ、草間平作 訳『幸福論』第一部、岩波文庫、pp.19-20)
ヒルティの幸福論は三部作となっており、それぞれに示唆に富むものですが、二部三部は敬虔なプロテスタントであるだけに、信仰について言及したものが多く、聖書からの引用が非常に多いのが特徴です。それに比べると第一部は、仕事の進め方、タイムマネジメントをはじめとする働き方に関する実践的なノウハウが多いので、3巻という大著に躊躇する人は、とりあえず第一部だけを手に取ってみるのも良いと思います。
ヒルティの幸福論からは、最も良心的なプロテスタントの幸福感を汲み取ることができます。ヒルティの労働観には、カルヴィニズムの精髄、禁欲的労働哲学の典型が示されています。
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(松島 紀三男 イーハピネス株式会社 代表取締役)
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