「神々が見ている」絶対者の下での平等な働く幸福 宗教による幸福の時代⑧「幸福」とは何か(その24)

人智を超えた絶対者によって得られる平等な働く幸福

三大宗教の労働観を中心として、宗教がもたらす働くことの幸福感への影響を見てきましたが、それぞれの宗教固有の思想の違い、歴史的変遷はあるものの、宗教的労働観の共通する特徴も指摘できます。

宗教的労働観を端的に要約すれば、勤勉、節制、倹約とまとめることができるでしょう。これらは何も宗教を持ち出さなくても、一般的な人間としての良識によって行き着く結論かもしれませんが、それらの遵守を、人間を超越した絶対者に誓いを立てることで、誠実な履行を促進する働きをもたらしたものと考えます。

また、働く幸福の観点から宗教による労働観の最も大きな意義は、現実の制約から解放しすべての働く人に絶対者による平等な承認が与えられることだと思います。多くの宗教が最終的に公正な労働であれば平等な価値を持つという結論に達しています。

自らの働く幸せの評価を、不完全で移ろいやすい、同じ人間である他者に委ねるのでなく、人智を超えた普遍的存在、実は自分の内なる道徳的基準に求めることによって、幸福感の実感と共に、陰日向のない、誠実な労働倫理の実践につながったと考えます。

世俗的権威による職業の貴賎、階級社会による差別に左右されない、自らの内なる絶対者との契約こそ、揺るぎない働きがい、達成感に基づく働く幸福、自己実現の証です。

それは古代ギリシアの彫刻家フェイディアスが「彫刻の背中は見えない。誰にも見えない部分まで彫るのは無意味だ。」という指摘に対して、次のように答えたという逸話に象徴されます。

「そんなことはない。神々が見ている。」

(松島 紀三男 イーハピネス株式会社 代表取締役)

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