働く人全ての平等な極楽往生(幸福)を説いた親鸞  宗教による幸福の時代⑨「幸福」とは何か(その25)

  神・仏・儒の融合による日本の労働観

最後に日本における労働観に、宗教が及ぼした影響はどのようなものか見ていきましょう。

日本においては、政治、社会、生活の隅々に至るまで、神道、仏教、儒教の影響を強く受けてきました。

日本において労働倫理働く幸せについても、神道、仏教、儒教が複合し、あるいは融合して日本人の労働観、仕事を通じた幸せに大きな影響を及ぼしてきました。

特に神道と仏教は明治維新以前は神仏習合であり文字通り融合していた状態こそが当たり前だったのです。明治政府により、神道の国教化政策を行うため、明治元年(1868年)神仏分離令が発せられ、公式に神道と仏教が別々の宗教とされました。

宗教として儒教の影響はと言われてもピンとこない人が多いと思います。日本人にとって儒教は宗教というよりも教養、仕事や生活の倫理規範として定着したという面が大きいと考えます。

それぞれの日本における独自の発展、労働観への影響について見ていきましょう。

まず仏教ですが、日本に仏教が伝来したのは6世紀半ばとされており、以来、日本の風土に根付いて政治、経済、社会に幅広い影響を及ぼしてきました。

日本における仏教の浸透と発展の歴史は 長く、多様なものですが、労働観に着目して、ここでは鎌倉時代浄土真宗を興した親鸞と、江戸時代初期の禅僧、鈴木正三の労働思想を取り上げたいと思います。 

働く人全ての平等な極楽往生(幸福)を説いた親鸞

親鸞の思想を、直弟子の唯円がまとめた『歎異抄』の「善人なをもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」という目から鱗のパラドックスはあまりにも有名ですが、仏教における「往生」=究極の幸福(至福)ということができるでしょう。

親鸞の思想は、労働においても一貫して平等主義です。この考えに則って『歎異抄』には労働と往生についても述べている部分があります。

現代語訳を引用しておきましょう。

「我らは、その日その日の生業のほかに、何事もできぬものである。またその生業のためには、いかなる振舞もするものである。そのあさましい身なればこそ大悲の願心も感じられる

ことである。」(唯円 金子大栄 校注『歎異抄』岩波文庫 p70)

悪人正機の考え方によって、どんな職業の人もコンプレックスを持つ必要はない、もし負い目を感じるところがあれば、それこそ仏の慈悲の及ぶところである、と親鸞は説いています。

「悪人正機」の魔法の言葉によって、親鸞はあらゆる職業に就く人々の心を救っています。 

親鸞の思想はそのラディカルさゆえに、熱烈な支持と共に、当時から批判と攻撃にさらされました。誤解、曲解に基づく誹謗中傷もありますが、一定の論拠ある批判はエリート主義の立場からのものです。西洋における幸福論の快樂主義とエリート主義の対立と同じ図式を、ここにも見ることができます。

親鸞の労働観は、職業の宗教的意義の平等という点で、キリスト教の宗教革命の旗手、ルターの労働観と、驚くほど類似しています。聖職者でありながら、初めて公然と妻帯したことも、親鸞とルターの行動は共通しています。

日本において市民革命はなかったとされていますが、浄土真宗門徒による「百姓の持ちたる国」加賀の一向一揆による百年に及ぶ共和制の実現は、西洋の市民革命と比肩し得るものだと思います。

宗教による働く者の平等な幸福は、職業の違いはあれ、民衆すなわち勤労市民である以上、必然的に、人々の例外なき平等な幸福をもたらすものと言えるでしょう。
(松島 紀三男 イーハピネス株式会社 代表取締役)

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