幸せになる方法① 幸福度・EHを高めるには(その1)

幸せになる方法

 「幸せになる方法」と言うと、なんだか胡散臭いなぁと思う人も多いかもしれません。

自分でも書いてて、なんだか怪しいなあと思ってしまいます(笑) 

でも「幸せになる方法」は確かにあるのです。

それは困難なことなのか。

非常に困難とも言えるし、とっても簡単とも言えると思います。

言わば「幸せの魔法の杖」はあるのか。

多くの先人たちは、それを自らの心の中にあると語っています。

しかし、自分の客観的能力や外側にある客観的実態を変えなければいけないという先人もいます。

この両方を組み合わせることも、場合によっては効果的でしょう。 

次回以降詳しく述べていきますが、まずは基本的な二つの方法について概説します。

1.幸福の考え方を変える

古来から多くの先人が勧める幸せになる方法の第一は、この幸福に関する考え方を変えるというものです。

これは最も簡単で、人によっては最も難しいとも言えるでしょう。 

ことほど左様に自分の考えを変えるというのは難しいものです。

でも、一旦考えを変えることができたら瞬時に幸せになれるのですから、こんなに劇的で安上がりな方法はないと思います。

 幸福の考え方と変えるとは、何らかの形で自分を不幸せと思っている原因を取り除くということです。

これは単純にネガティブな要素を取り除くということではありません。 

以前の記事にも書きましたがネガティブな考え、感情は建設的問題解決、自己成長の母でもあります。ネガティブな考え、感情が役に立つのですからポジティブ病も不健全と言えます。

要はポジティブな感情もネガティブな感情も適切なバランスで両者を活かすということが必要なのですが、最終的な結論が不必要に「私は不幸だ」と言う事にならないよう幸福に関する考え方を見つめ直すということです。 

それは言い換えると、自分の幸福の価値基準を変えるということです。

以前記事に書いたことで言えば、幸福の価値基準を意識的に変えることを「性格設計」と言います。
状況に流されて無自覚的に変えることを「適応的選好形成」と言います。

両者の区別は必ずしも明確にできるわけではありませんが、強い意志と明確なプランを持って積極的に幸福の価値を組み替えるのと、
なんとなく現状を追認的に「まあまあ倖せさ」というのでは、幸福感は大分違うものになると思います。 

幸福の価値基準を変える

一口に幸福の考え方を変える、価値基準を変えると言っても、いくつかの方法に分けられます。 

(1)気づかなかった潜在的幸福を発見する

「生きてるだけで丸儲け」という言葉があります。

いろいろ幸せの種を探してばかりいると、不満ばっかりがつのり、かえって不幸と感じてしまうことも多いものです。

今ここにあって自分が気付かない価値に目を向けてみるのも、幸せの種になるでしょう。

これは多くの人が指摘していることです。

私自身の体験でも脳梗塞という大病をして健康のありがたみがわかりました。家族や友人知人との人間関係の大切さも分かりました。

こうやって、まがりなりにもちょっと頭を働かせて駄文を書いているのもつくづく幸せなことだと思います。

(2)幸福を感じる対象を変える

誰でも幸せになりたいという欲求を感じるものです。

「欲求とは何か」という記事の「欲求達成説」のところでも書きましたが、 

しばしば幸せとは、欲求の対象が実現することによってえられます。

ところが人間は有限な存在ですから、あまりに多くの欲求を持ちすぎるとその多くは実現できないことになり、欲求不満ばかりがつのります。

欲求にはいろいろ対象の種類があります。

世のため人のために尽くす、利他という崇高な欲求もあるでしょう。

知的欲求で成長したいということもあるでしょう。

愛する伴侶を得て家庭を営むというのも切実なものかもしれません。

そういった健全な欲求もあれば、ちょっと感心しない欲求もあります。

適度ならばいいけれど酒に溺れる、ヘビースモーカーになり、飽食の限りを尽くす。

これらはその時はいいけれど、やがって健康を損なう危険性大です。

明らかに反社会的な欲求もあります。

人の物を盗む、人を騙して自分の利益を得る、人を傷つけたり殺したりする。

これらは明らかに道徳に反し、犯罪であり許されるものではありません。

アリストテレスをはじめとする理想を追求することに価値を置く幸福論は、

欲求の対象を徳の高いものに絞ることを幸福として推奨しています。

幸福の対象はかくあるべきと価値を限定するのも問題だとは思いますが、

欲求の放縦による幸福の模索は、結果として多くの不幸せな事態を招くでしょう。 

(3)相対比較価値から絶対価値へ変える

端的に言えば「他人と比べない」ということです。これも多くの先人たちが勧めるところです。

幸福の価値を他人との比較において測ろうとするととすると、しばしば低次元の感情に一喜一憂することになります。

自分の幸福度が、他人と比べ劣っていると思えれば、自己卑下や妬みの暗い感情が忍び寄ってきます。自分の幸福度が他人より優れていると思えば、鼻持ちならない優越感を持つこともあります。

自分の心の内側にしまっておくだけならいいのでしょうが、しばしばそういう感情は表情や行動に出て、大事な幸福の資産である人間関係を損なう危険性があります。 

そんな卑しい根性はしていないという人も多いでしょうが、 念のため、心の隙間に入り込んでんこないように注意しましょう。

(4)時間軸を変える

過去の不幸な出来事にいつまでもとらわれている人もいます。

現在の厳しい出来事に直面し、落ち込むこともあります。

未来への根拠のない不安におののいている人もいます。

多くの先人は、現在やれることに集中することを勧めています。

それは決して今だけしか見ないということではないでしょう。

今は、確実に訪れるであろう、現在の努力の延長である未来に繋がっています。

自分がどのような時間軸の位置に躓いて幸福感を下げているのか、

よく分析してみましょう。

過去は変えることができませんが、現在と未来の希望は自分の力で作り出せます。

モルトマンが言ったように「希望そのものが現在の幸福」 なのです。

(4)欲求の期待水準を下げる 

高望みをしすぎると挫折の不幸に苛まれることになります。

かといって変革できる可能性のあることをひたすら保守的な欲求に固執し、成長や変革の可能性を自己規制しすぎることも問題です。

欲求実現の可能性は客観的に見極められるものではありませんが、挑戦できる理想と、現実的な可能性についてよくよく考えてみることが必要です。

これら幸福の価値基準を変えることは 、しばしば多くのものを欲しないというやり方が推奨されてきました。

いわゆる禁欲であり、身も蓋もない言い方をすれば「諦める」ということです。

これはとても消極的なようにも思えますが、

多くの宗教、賢者の思想に普遍的と言っていいほど共通しています。

禁欲には、第一には、明らかに不幸の原因となる欲求を避けるという、上記(2)の意味があります。

これは、邪悪な欲求を戒めるという重要なことでもあります。

享楽的な欲求の放縦で、健康を損なうという現実的なリスクを避けるということでもあります。

すなわち、幸福を感じる対象を変えるということです。

第二には、正当性のある欲求であるとしても、現実的な達成可能性を考慮して、あえて挑戦することはしないということです。

これは必ずしも全面的に諦めるわけではありません。

できないことを諦めるということは逆説的に言うと、できることに集中することでもあります。

自分のつくりうる未来に集中することは、次の「変える」ことによる幸福にもつながってきます。

最後に、有名な「ニーバーの祈り」を引用しておきましょう。

ニーバーはアメリカの牧師で、1934年頃から、しばしばこの祈りを捧げたといいます。

■「ニーバーの祈り」

God, give us grace to accept with serenity

the things that cannot be changed,

Courage to change the things

which should be changed,

and the Wisdom to distinguish

the one from the other.

Living one day at a time,

Enjoying one moment at a time,

Accepting hardship as a pathway to peace,

Taking, as Jesus did,

This sinful world as it is,

Not as I would have it,

Trusting that You will make all things right,

If I surrender to Your will,

So that I may be reasonably happy in this life,

And supremely happy with You forever in the next.

Amen.

神よ、変えることのできないものを静穏に受け入れる力を与えてください。

変えるべきものを変える勇気を、

そして、変えられないものと変えるべきものを区別する賢さを与えて下さい。

一日一日を生き、

この時をつねに喜びをもって受け入れ、

困難は平穏への道として受け入れさせてください。

これまでの私の考え方を捨て、

イエス・キリストがされたように、

この罪深い世界をそのままに受け入れさせてください。

あなたのご計画にこの身を委ねれば、あなたが全てを正しくされることを信じています。

そして、この人生が小さくとも幸福なものとなり、天国のあなたのもとで永遠の幸福を得ると知っています。

アーメン

https://ja.wikipedia.org/wiki/ニーバーの祈り
最終更新 2018年11月22日

次回は2番目の、自己の内外の客観的状況を変えることで幸福を作る方法をお話しします。

(松島 紀三男 イーハピネス株式会社 代表取締役)

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