厄介なのは、何かを知らないということではない。たしかに知っていると思い込んでいることが、実はまったくの的外れだということだ。(マーク・トウェイン…というのも的外れ)

「厄介なのは、何かを知らないということではない。たしかに知っていると思い込んでいることが、実はまったくの的外れだということだ。」(マーク・トウェイン)

*皮肉なことに、この名言についてわれわれがたしかに知っている唯一のことは、

マーク・トウェインの言葉ではないということだ。

トウェインの言葉としてしょっちゅう引用されるが、実は誰の言葉なのか、

たしかなことは誰も知らない。

だからこの名言は、たしかに知っていると思い込むことの危うさを、

二重の意味で戒めてくれる。

(マーカス・バッキンガム、アシュリー・グッドール『仕事に関する9つの嘘』サンマーク出版、2020年)

人類の歴史は的外れの思い込みと、

そういう思い込みの創造的破壊という

パラダイムチェンジのくり返しだ。

中世キリスト教による地動説弾圧

魔女裁判の夥しい犠牲者

誤った医療による治療という名の殺人の数々

瀉血で命を落としたと推測されるバイロン、モーツァルト

水銀療法で芸術家としての生命を縮めたパガニーニ、シューベルト

確かな知恵を持っているという人間の傲慢な思い込みは

多くの悲喜劇を産み

自ら不幸を招く

本能のリアリストたる動物ならこんなことはしない

問題はこれが過去の悲惨な出来事ではないことだ。

なんと馬鹿なことをしたものだと先人を笑う我々は

同じ罠にはまっている。

科学的方法論の確立で多少はマシになったように思えても

浅薄な理解による無理解、誤用、誤解、曲解は絶えない。

現在進行形なのだ。

今もそこかしこで。

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