太宰治「幸福は一生、来ないのだ。それは、わかっている。けれども、きっと来る、あすは来る、と信じて寝るのがいいのでしょう。」
「幸福は一生、来ないのだ。それは、わかっている。けれども、きっと来る、あすは来る、と信じて寝るのがいいのでしょう。」(太宰治『女性徒』)
私はおこがましくて、とても太宰治の読者とは言えないのですが、幸せが来ないことは分かっているという前振りが、いかにも太宰らしいと思いますが、いかがでしょうか。でもふしぎと共感を覚えるのは、ペシミスティックなはにかみとオプティミズムが揺らぎながら、切なく同居しているのが人間らしさかなあという気がします。僭越ではありますが私の幸福論の特徴は未来への希望を大切にしていると言うことです。ここには不安を抱きながらもみずみずしい未来への希望があります。どんな試練や苦難も希望を失わない限り幸せは掌中にあると思うのです。