「幸福」とは何か(その15)未来への「希望」が現在の幸福感をもたらす

未来への「希望」が現在の幸福感をもたらす

人生の前途への「希望」を幸福の定義に含めることには、疑問を持つ方がいらっしゃるかもしれません。そこで、あえて「希望」を中核的要素とする理由について、述べておきましょう。

「生」とは現在だけを問題にするにしても、常に未来へ向かって進行している、時間という次元に乗った存在です。ゆえに「今」「現在」という意識自体が純粋に時間を捨象して意識することはあり得ず、常に不可逆的な未来へと進行している意識でしかあり得ません。そこには未来への予感が潜在、顕在を問わず常に意識されており、未来予測の意識がつねに投影されているものであるはずです。

もちろん、「現在」は幸せか、「未来」は幸せと思うか、と聞いた場合、当然そこでの顕在的意識は「現在」「未来」の意味を切り分けているはずです。しかし、上に示した理由で「現在」での幸福感には「未来」が投影せざるを得ません。すなわち、現在の意識には常に「未来」が浸透しているということです。

幸福に関する人間の意識が時間という次元から逃れられないものであれば、「未来」だけでなく「過去」も入れるべきではないかと言われるかもしれません。実際過去の出来事は幸福感に大きな影響を及ぼします。過去の出来事の記憶は、一時的には不確かな未来よりも幸福感への影響力は大きいこともあり得ます。

しかし「未来」が「過去」よりも決定的に幸福を支配すると考えます。これには以下の二つの理由があります。第一に、「過去」の原因は「未来」にあること。すなわち「過去」とは実現した「未来」であり、「未来」への予測の質が時間軸における幸福の推移に大きな影響を及ぼすということです。「過去」は解釈する以外に変更の道はありませんが、「未来」は積極的に創造することができます。時間という次元において、「未来」こそ決定的に幸福を左右すると考えます。

第二は幸福感への過去の影響力は比較的短時間で低下するということです。これは調査結果でも証明されており、人の幸福感を下げるショッキングな出来事に遭遇し、一時的に深い不幸の実感に苛まれても、多くの人が一定時間の経過で元の幸福感のレベルに戻ることが知られています。これには二つの理由があると考えられます。一つには人間の記憶の性質として、時間的に近い記憶のインパクトが大きいという性質があるからだと考えます。また、人間の意識は忘却という作用で不幸な記憶を消し去ることもできます。二つ目は解釈による過去の出来事の価値を転換する作用です。「ものは考えよう」「不幸中の幸い」というように、人は過去の出来事の価値を組み替えることができます。このような理由で人間の幸福を左右する影響力は圧倒的に未来が大きいと考えます。
最後にモルトマンの「 希望そのものが現在の幸福なのだ。 」という言葉を引用しておきます。

J.モルトマン,『希望の神学―キリスト教的終末論の基礎づけと帰結の研究(現代神学双書(35))』高尾利数(訳)
希望そのものが現在の幸福なのだ。希望は貧しい者を幸いなりと讃え、疲れた者や重荷を負う者、いやしめられ悔られた者、飢えた者や死に瀕した者を引き受ける。なぜなら希望は、彼らのための王国の来臨を知っているからである。待望は生をよきものにする。なぜなら待望することによって、人は彼の全現在を受け取ることができるのであり、喜びにおいてのみならず苦しみにおいても喜びを見いだし、幸福のみならず痛みにおいても幸福を見いだしうるからである。そのように希望は、幸福をも痛みをも貰いていく。なぜならそれは、過ぎゆくもの·死にゆくもの·死せるもののためにも、未来を神の約束において見るからである。

(松島 紀三男 イーハピネス株式会社 代表取締役)
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