メゾスコピックな幸福論としての「従業員幸福度(EH)」
「ミクロ幸福論」と「マクロ幸福論」
「幸福論」をスケールの観点から「ミクロ幸福論」と「マクロ幸福論」という二つの視点を立てることもできます。「幸福論」を「ミクロ」と「マクロ」に分けるのは、一般的ではなくあくまで筆者の提唱する概念です。
「ミクロ幸福論」とは、もっぱら個人の視点で幸福を考えるものであり、アリストテレスを嚆矢とし、今日に至るまで様々に論じられている幸福論の主流であると考えます。いわゆる三大幸福論と言われるヒルティやアラン、ラッセルの幸福論もまさにその典型といえるでしょう。「ミクロ幸福論」は、個人の内面に主眼を置き、精神生活としての幸福を論じたものが多いと言えます。
これに対して、「マクロ幸福論」とは社会、経済、政治の視点から、国民全体の幸福を考える観点です。今日のGNH(国民総幸福量)なども、典型的な「マクロ幸福論」の立場から、政策的に幸福を最大化する試みと考えます。
経済学はミクロ経済学とマクロ経済学とで補完的に成り立っているのと同様、今日交流を極めている幸福学もミクロ幸福学とマクロ幸福学という区分があっても良いのではないかと筆者は考えます。
これから幸福論の歴史を論じていきたいと思いますがこのような「ミクロ幸福論」と「マクロ幸福論」という観点からも考えていきたいと思います。
「メゾ幸福論」としての「従業員幸福度」という視点
さらに個人の幸福の視点である「ミクロ幸福論」と、社会全体の視点である「マクロ幸福論」があるとすれば、「従業員幸福度」とは、その中間である「組織」あるいは組織内の「チーム」の視点から見た個人の「幸福度」と言えるでしょう。
「従業員幸福度」は、あくまで個人の幸福なのですが、「チーム」の一員、「組織」の一員として、それらを構成する要素に強く影響を受けます。すなわち従業員自身が個人の問題として幸福を考えるだけでは限界があるということです。
「チーム」の要素、「組織」の構成要素および、それらの特性の問題を取り扱わなければ、従業員個人の「幸福度」を高めたり、障害を取り除いたりして、問題解決を図ることはできないのです。言わば「ミクロ」「マクロ」の視点に対して、「チーム」「組織」の視点ということができるでしょう。
したがって「従業員幸福度」の向上を図るためには、必要に応じて、チーム・マネジメントに関する理論、組織のマネジメントや変革に関する理論を、効果的に活用することが必要となります。
(松島 紀三男 イーハピネス株式会社 代表取締役)