産業革命から現代まで続く「従業員幸福度(EH)」を低下させる構造
産業革命から現代まで続く「従業員幸福度(EH)」を低下させる構造
2020-06-09 21:55:16テーマ:従業員幸福度(EH)コラム
産業革命から現代まで続く「従業員幸福度(EH)」を低下させる構造
これまで分業の効用を述べてきましたが、 目覚ましい経済的な効用をもたらした一方で、無視できない弊害も発生させました。分業は産業革命と密接不可分ですので、産業革命による従業員の誕生によって発生した「従業員幸福度(EH)」を低下させる他の要因も併せ、包括的に見ていきましょう。
これから述べることは産業革命によって従業員という立場の人々が誕生したと同時に、生産力の飛躍的増大による社会全体の福利(Well-being)増進と引き換えに、喪失した働く幸せに関することです。
産業革命当時の劣悪な労働条件に置かれた工場労働者としての従業員に比べ、政治、労働組合の活動、心ある経営者の努力などで、様々な労働条件の向上が図られてきた今日は、はるかに働く幸せを取り巻く状況が改善されているとはいえ、「従業員幸福度(EH)」を損なう構造的な要因は、基本的に今も変わらず、現在の従業員にまで影響を及ぼしています。
「従業員幸福度(EH)」を損なう構造を、一言で言うならば、働く幸福をもたらす諸要素の「疎外」 という言葉に表すことができます。
ここで言う「疎外」とは、人間が本来持っていた本質的要素が外部化し、逆にそれによって人間が支配されるような構造を言います。「疎外」はマルクス、エンゲルスの哲学の中心的な概念のひとつです。
「従業員幸福度(EH)」の観点から見ると、産業革命による都市の工場労働者としての従業員の出現によって、次のような疎外が、働く幸福を損なう要因となったと考えます。 これらは、改善されているとはいえ、現代においても、働く幸せを低下させる本質的な構造的要因として横たわっています。
①仕事の全体から大半除外され、狭い工程へ「分業」される「疎外」
②生産手段(工場、機械設備など)の所有からの疎外
③生産関係(生産手段と人間、人間同士の関わり)からの疎外
なおここでいう生産とは、工業的生産だけを指すものではなく、流通、金融、サービスなど社会的価値を生産するものすべてを言います。
①仕事の全体から大半除外され、狭い工程へ「分業」される「疎外」
分業は先に述べたような大きな効用がありますが、それは、人間が仕事の全体に関わることを疎外する形で得られたものでもありました。
すなわち、調達、生産、達成から顧客の満足や評価の実感まで、仕事の全工程に参画する機会の喪失という疎外構造を発生させることになったのです。 この仕事の全工程からの疎外は、次のような要素にマイナスの影響を与えました。
総合的能力の低下
分業によって狭い工程の枠の中に閉ざされると、仕事に関する視野、ものの見方を狭めてしまう傾向があります。個人差はありますが、そういった環境が全体を俯瞰する視点、総合的、有機的に考える能力を疎外すると考えられます。
また細分化され、定型化された作業処理能力だけが要求されるため、短期間で必要な能力が身につく反面、全体的なものづくりの高度な技術・技能が身につくわけではありません。
スミスは分業の効果を強調する一方、この問題も看過することなく、『国富論』の中で指摘しています。
かれ(普通の農夫)は非常にさまざまな事柄を考慮することに慣れているので、かれの理解力は、ふつう一つか二つのごく単純な作業を行なうことに朝から晩まで全注意をむけている機械職人のそれにくらべて、一般にはるかにすぐれている。
(アダム・スミス『国富論Ⅰ』第一編 第十章 第2節「ヨーロッパ諸国の政策によって引き起こされる不均等」 中公文庫,p212)
働きがいの希薄化
分業は生産性を高める一方、「従業員幸福度(EH)」の最も重要な要素である「働きがい」を希薄なものとしました。
分業によって細分化された工程、部分の作業を担当するため、大半の従業員が自分の仕事の最終的成果物、それを購入した顧客の満足、貢献できた価値などを実感することができません。そうするとどうしても働きがいは希薄なものになってしまいます。
従業員の多くが「どういう時に働きがいを実感するか」と言う質問に対して「顧客に喜んでもらった、感謝された時」と答えます。自らの仕事の成果が、直接顧客に対面することで、喜ばれた、貢献できたと言う実感を得ることが、何よりの働く幸福につながっていると考えられます。
分業は、こういった仕事の成果の実感、顧客に貢献できたと言う喜び、働きがいを遮断してしまいます。すなわち、従業員は分業によって、働く幸せを得るプロセスから疎外されてしまうのです。
労働が本来持っている崇高な価値を、従業員の精神から疎外してしまう問題を、マルクスは次のように述べています。
「分業は労働の生産力を高め、社会の富と品位を高めるものなのに、その分業が労働者を貶めて機械にしている。 」(『経済学・哲学草稿 (光文社古典新訳文庫)』(マルクス, 長谷川 宏 著): Kindle版https://a.co/cAXWK2U
②生産手段(工場、機械設備など)の疎外
従業員という立場は、中世の職人の親方とは違って、生産手段を自らは所有していません。 従業員は、自らの労働力だけを所有しているのであり、事業所、機械設備、道具などの生産手段は全て、従業員から疎外されています。
生産手段の疎外は、従業員は独力で何一つも生産できないことを意味します。仕事に必要なものが、労働力以外全部外部がされていることは、仕事を自分の手でコントロールできないことを如実に示しますが、このことは精神的にも働く幸福の疎外をもたらします。
③生産関係(生産手段と人間、人間同士の関わり)の疎外
生産関係とは社会的生産力を構成する人びとの相互関係であり,生産手段に対する人間の関係,すなわち生産手段の所有関係を指します。
歴史的に変革を遂げてきた生産関係は原始共同体,奴隷制,封建制,資本主義,社会主義の五つであり,資本主義社会は生産手段の所有者(資本家,土地所有者)が生産手段をもたない生産者である従業員(労働者)に対して支配的立場を持つ構造です。
原始共産制の時代以降は、基本的に格差社会であり、国によって違いはありますが、政治的に平等で自由な社会が築かれてきたとはいえ、経済的な格差構造は、依然として変わらず、近年むしろ格差が拡大している傾向すらあります。
格差を生む構造は、確実に人々の幸福、福利(Well-being)、生産手段を持つ者と持たざる者との関係をいびつなものとし、双方の働く幸福を損ないます。
リチャード・ウィルキンソン/ケイト・ピケットは『格差は心を壊す』という著作の中で、次の「五つの被害」をもたらすと述べています。
①社会的な格差問題を悪化させる(健康など)
②社会的な融合を阻害する(階層の固定化、文化的社会的分断)
③社会的な団結を損なう(地域住民間の信頼関係の低下など)
④地位への不安を高める(自尊心の低下、うつ病 や不安障害、不平等による心の病)
⑤消費主義や自己顕示的な消費を増大させる(中毒、過度な消費による破産など)
( リチャード・ウィルキンソン/ケイト・ピケット著『格差は心を壊す』東洋経済新報社、2020)
以上述べてきた「疎外」を一言でまとめると、「自分の働く幸せが、自分のものでなくなること」と言うことができます。
マルクス・エンゲルスはこのことを「あらゆる自己実現(自己活動)から完全にしめだされている現代のプロレタリア」と述べています。(マルクス・エンゲルス著、新訳刊行委員会訳、新訳 『ドイツ・イデオロギー』新訳刊行委員会・現代文化研究所、2000年、p134)
従業員幸福度の原理としての「疎外」は克服すべき現代の課題
現代では先人たちの努力により、労働時間、賃金、雇用の維持、職場環境、人権保護など、産業革命当時の劣悪な労働条件の多くは解消されたり、顕著な改善が果たされたりしています。しかし、従業員が誕生した時、根源的に発生した「従業員幸福度(EH)」の構造的疎外という問題は、現在も、いわば DNA レベルのリスクとして存在しているのです。
産業革命によって生まれた従業員という立場が持っている働く幸せの疎外は、現代においても従業員幸福度EHの向上を図る上で、最重要の課題といってもいいでしょう。
また景気変動、恐慌による失業の危機は、労働関係の法律、制度面の整備が進み、改善されているとはいえ、本質的に従業員が弱い立場に置かれていることは変わりがなく、現代でも従業員にとって重大な脅威となっています。
このことは、日本におけるこの間の非正規従業員の顕著な増加など、むしろ「従業員幸福度(EH)」を悪化させている面もあります。またコロナ禍で顕在化した大量失業問題は、マルクスの指摘した労働者としての従業員の生産関係における疎外が、未だに解決されていないことを如実に示しています。
このような「疎外」を一言でまとめると、「自分の働く幸せが、自分のものでなくなること」と言うことができます。 マルクス・エンゲルスはこのことを「あらゆる自己実現(自己活動)から完全にしめだされている現代のプロレタリア」と述べています。(マルクス・エンゲルス著、新訳刊行委員会訳、新訳 『ドイツ・イデオロギー』新訳刊行委員会・現代文化研究所、2000年、p134)
我々は、マルクスらが19世紀に提起した従業員(労働者)の働く幸せの疎外という宿題を、どれほど解決できたと言えるでしょうか。「従業員幸福度(EH)」向上を図る上で、これら働く人間としての疎外は、すぐれて現代的問題なのです。
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https://ameblo.jp/wineclub/entry-12601792427.html
(松島 紀三男 イーハピネス株式会社 代表取締役)
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