市民革命による幸福革命の時代 「幸福」とは何か(その31)
市民革命による幸福革命の時代
市民革命の時代は幸福革命の時代とも言えます。中世の宗教に支配された来世における幸福の時代から現世の幸福を獲得するために市民が立ち上がった時代と言えるでしょう。
市民革命の精神を最も早く示し、フランス革命に影響を与えた「米国独立宣言」では初めて「幸福権」の追求ということが明記されました。幸福というものが一部の特権階級の者でなく、万人に保障された権利として宣言されたのです。
市民革命の目指す目標を幸福という形で表現したものが、「最大多数の最大幸福」(the greatest Happiness for the greatest numbers)ということばです。
「最大多数の最大幸福」ということばは、一般的にはベンサムの功利主義のスローガンとして知られています。これはイタリアの法学者ベッカリーアの著作から引用されたものとされていますが、もともとはイギリスの哲学者ハチソンが『美と徳の観念の起源』の中で述べたものです。
当時の啓蒙思想の思想家たちの合言葉であったと言われていますが、まさに市民革命の精神を象徴的に表現したことばだったのでしょう。
F.ハチソン(スコットランドの啓蒙思想家,哲学者)は次のように述べています。
「最大多数の最大幸福を得る行為こそが最善であり、不幸を作る行為が最悪である(Action is best, which procures the greatest Happiness for the greatest numbers; and that, worst, which, in like manner, occasions Misery)」(F.ハチソン、山田英彦訳、『美と徳の観念の起源』近代美学双書、p160)
ここには社会的、経済的視点が含まれています。それまでの幸福論がもっぱら個人の精神的な質を高めることに主眼を置き、ミクロ幸福論に終始していたのに対し、一人ひとりの人権を尊重し、社会全体の幸福を最大化しようという、マクロ幸福論の視点が含まれています。定性的な幸福論から定量的な幸福論への飛躍ということもできるでしょう。
このような考えは万人に共通の権利として自由と平等という精神をスローガンとした市民革命の思想が反映されたたものです。
それまでの幸福論が富の偏在一部の特権階級による支配というものを前提としたものであったのに対して社会全体の平等というものを前提とした幸福論へと発展した時代と言えるでしょう。
それは適応的選好形成による幸福感からはっきりと決別し、性格設計としての宗教的幸福感からも一歩進めて、客観的実体としての福利(Well-being)を追求しようという、社会変革による幸福革命の気運盛り上がったことを示しています。
それまでも宗教の力によって民衆の幸福を実現しようという活動は、志の高い宗教者によって進められてきました。宗教の力で大きな社会変革が進められたり、ソーシャルキャピタルの充実によって精神的に救われたりということはそれまでもありました。
しかし、概ね、古い時代の宗教勢力は、 現実の政治権力と妥協し、あるいは権力による支配の構造を宗教の教義によって合理化し、民衆に受容を勧めるものが多かったのが事実です。
市民革命の時代は、宗教による幸福の精神革命の時代から、 社会変革のラジカルな運動に基づく幸福の市民革命の時代へと突き進んだことを示しています。
市民革命による幸福の時代とは、マルクスの言葉を借りれば「解釈」による幸福の時代から「変革」による幸福の時代へとステージが変わったのです。
(松島 紀三男 イーハピネス株式会社 代表取締役)