「共感」に基づく「幸福の経済学」を目指したアダム・スミス
「共感」に基づく「幸福の経済学」を目指したアダム・スミス
思想家は誤解、曲解される運命にあるのでしょう。
その中でもアダム・スミスほど、
気の毒な誤解をされてきた人はいないと思います。
『国富論』によって経済学の元祖とされるアダム・スミスですが、
『国富論』の執筆よりも前に
『道徳感情論』を世に送り出しています。
経済学者である前に、道徳哲学の権威であったことは、
今日、あまり知られていません。
誤解の元となったスミスの学説、
有名な
「見えざる手」ですが、
今日しばしば強欲な新自由主義的資本の暴走に
お墨付きを与えたものとの解釈がなされる場合がありますが、
スミスの意図とは真逆と言っても良いものです。
経済活動に参加するものは
まず何よりも倫理的に公正でなければならない、
という道徳が前提になっています。
倫理、道徳の根底にあるのは
人間が持つ「共感」への信頼です。
「共感」に基づく倫理的公正さあってこその
自由な経済活動参加なのです。
アダム・スミスは『道徳感情論』の「共感について」において、こう述べています。
いかに利己的であるように見えようと、人間本性のなかには、他人の運命に関心を持ち、他人の幸福をかけがえのないものにするいくつかの推進力が含まれている。[i]アダム・スミス,『道徳感情論』p30
「神の見えざる手」という有名なテーゼも
当時のイギリスの経済政策を背景として理解する必要があります。
『国富論』は当時の重商主義政策への批判の書であり、
政府が不当な市場への介入、規制、
すなわち
「見える手」によって、
多くの国民が不当に苦しめられていることを告発した書物なのです。
経済学者の浜矩子(同志社大学大学院ビジネス研究科教授)さんは
「幸せとは人の痛みがわかることである」
と題した文章で、次のようなことを書かれています。
少し長くなりますが引用させていただきます。
幸せとは、人の痛みがわかることである
共感とは何でしょう。端的に言って、それは人の痛みがわかることだと思います。
人の痛みを我がことのように感じることが出来る。
この感受性こそ、人間を人間たらしめるものだと思います。
~中略~
人の痛みがわからない者たちが経済活動を営むと、彼らは確実にお互いを不幸にします。
不幸どころか、共感無き経済活動は、結局のところ、共食いです。命の奪い合いですね。
人の痛みがわかる者は、決して相手を不幸にしない。
相手を決して不幸にしない者たちで世界が一杯になれば、誰もが幸せになることが出来ます。
ですから、人の痛みがわかることこそ、最高の幸せの基盤です。
~中略~
人の痛みがわかるというのは、それだけ賢くなるということです。
それだけ想像力が豊かになるということです。
人と親しくなれるということです。
そのような精神風土の中で育まれる経済活動こそ、人を幸せにする経済活動です。
それこそが、経済活動の本来の姿です。
(別冊 NHK 100分 de 名著「幸せ」について考えよう)
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『国富論』とは、国民不在の、国家に富を集める本ではなく、
国民に遍く富を行き渡らせ、幸せにすると言う
「幸福の経済学」の元祖なのです。
(松島 紀三男 イーハピネス株式会社 代表取締役)