「幸福」とは何か(その23)宗教による幸福の時代⑦多様な仕事に寛容で、営利追求、財の蓄積と分かち合いを積極的に推奨した仏教
(身延山久遠寺)
仏教も他の宗教と同様、長い歴史を持つものであり、思想も時代に応じて変化していますが、初期仏教の思想において、既に農業、手工業、商業等の労働を通じて、人々が幸福になるための指針が示されています。
インド哲学者の中村元は、原始仏教は、営利追求を積極的に勧め、利益を享楽的消費に使うことを戒めていると言っています。また、財の集積と相乗的増殖を積極的に賞賛しています[i]。
しかし、ただ蓄積しておくことは無意義であり、自分も用い、 他人にも用いさせ、 有効に利用しなければならないとされます。原始仏教では、「与える人には功徳あり」とされ、施与によって「自己に関しても他人に関しても大いなる果報がある」とし、施与することによって、 精神的に清浄することを原始仏教では強調していると述べています。
「与える前にはこころ楽しく、与えつつあるときは心を清浄ならしめ、与えおわっては、こころ喜ばし」(増支部教典)。
「原始仏教では、分配の面の道徳は多く説かれるが、生産の道徳について説かれることは少ない」と中村元は分析しています。
勤勉、誠実に仕事を行い、不正や浪費を戒めることなどは、キリスト教、イスラム教とも共通していますが、仏教の特徴として、利子の徴収を正当なものと肯定したことも大きな特徴です。キリスト教では、カルヴィニズム以降では利子を肯定していますが、宗教改革の旗手であるルターでさえも、利子の徴収を厳しく否定しています。イスラム教では、金融の機能は認めており、イスラム金融などが発達しているものの、一貫して利子の徴収は禁じられています。
仏教では利子はむしろ積極的に推奨されており、財の蓄積も適切な範囲であれば事業と生活の安定のために必要なこととして認められています。そういう点では、仏教は初期から、職業に関しては極めて寛容であると言ってよく、仏教の経済思想は近現代の資本主義とも極めて親和性が高いと言えるでしょう。
初期仏教は経営の実践的原則まで示しています。
「その財を四分すべし。 (そうすれば)かれは実に朋友を結束する。一分の財をみずから享愛すべし。二分の財をもって(農耕、商業などの)業務を含むべし。また第四分を蓄積すべし。しからば窮乏の備えとなるであろう」(雑阿含経)。
四分の経営管理の原則は、今でもアジアの仏教国に伝承されているということです。
注目すべきは、日本の二宮尊徳の「報徳仕法」の基礎となっている四分法も、この仏教の四分法の原則が元になっているということです。
このような仏教の経営、経済のポリシーを要約すれば、適切なバランスによる家庭、事業の経営、経済の発展と施与による福利の推奨ということができるでしょう。
仏教は、職務への精励と消費、娯楽の均衡、収入と支出の均衡、資本の蓄積と循環の均衡を図り、施与による所得の再分配を進め、人々の幸福を最大化することを目指していると言えるでしょう。
(松島 紀三男 イーハピネス株式会社 代表取締役)
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[i] 中村元「宗教と社会倫理」岩波書店