「幸福」とは何か(その9)「酸っぱい葡萄」の幸福「適応的選好形成(Adaptive Preference Formation)」

適応的選好形成(Adaptive Preference Formation)」

第三の問題は、幸福であるか否かは、欲求対象と目標とする欲求水準に依存するので、幸福度は対象と目標水準を変えることによっていくらでも変動するということです。

「欲求達成説」は、欲求の達成という経験に幸福があるという考え方ですが、人間の能力、行為には限りがあるので、欲求を際限なく高めていくと、得られる達成は相対的に貧しいものとなり、逆に不幸の原因となってしまいます。

そのため、多くの人はしばしば欲求を実現可能な対象、実現可能な水準に逆算して設定し幸福を得るということを選択します。このことを「適応的選好形成(Adaptive Preference Formation)」と呼びます。

「酸っぱい葡萄」の幸福

「適応的選好形成」は、社会学者のJ.エルスターが提出した考え方ですが、「適応的選好形成」の例としてイソップ寓話の『酸っぱい葡萄』がよく引用されます。これはエルスターの著作の題名にもなっていますが、次のような話です。

お腹を空かせた狐は、たわわに実ったおいしそうな葡萄を見つけた。食べようとして懸命に跳び上がるが、実はどれも葡萄の木の高い所にあって届かない。何度跳んでも届くことは無く、狐は、怒りと悔しさから「どうせこんな葡萄は酸っぱくてまずいだろう。誰が食べてやるものか」と負け惜しみの言葉を吐き捨てるように残して去っていった。

この寓話を元に生まれた英語に”sour grapes”という言葉があり、「負け惜しみ」と言う意味です。このようなことは我々の経験でもよく見聞きしたり、自ら負け惜しみを言ったりすることもあるかもしれません。

心理学で「防衛機制」という言葉がありますが「適応的選好形成」と同様の行動を「合理化」と言います。「防衛機制」は、人間の精神的崩壊を防ぐメカニズムと言われています。「防衛機制」は無自覚的で非自律的な反応と言われていますが、エルスターは「適応的選好形成」も非自律的、無意識的反応であると言っています。

「適応的選好形成」は、望ましくない作用として語られることが多いのですが、確かに無自覚的に「適応的選好形成」に支配されることは、人間の主体的な行動、成長や変革を阻害する面があると思います。

しかし人間の際限のない欲求の追求は、ときに他人の幸福を侵害することさえあります。また、不幸な出来事に遭遇することによって欲求の実現が妨げられ、精神の崩壊をきたす危険もあります。その意味で「適応的選好形成」は防衛機制の「合理化」と同種の、人間の自己防衛メカニズムとも考えられます。

「防衛機制」としての「適応的選好形成」によって自分の精神の安全、幸福が守られると言っても、無意識的な自我に振り回される人生、無自覚的な選択によって得られる幸福に支配されることが、本当の意味で幸せな人生と言えるでしょうか。

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