「幸福」とは何か(その10)幸福の「性格設計」としての「中庸」

幸福を自律的に生み出す「性格設計」としての「中庸」

先人たち、古今東西の哲学、宗教、多くの思想は、際限のない欲求の抑制と精神的価値の追求による、心の静謐な状態を理想とする点で多くの共通性を持つように思います。これは、非自律的、無自覚的に行われる「適応的選好形成」ではなく、より理想的で主体的な自律的「選好形成」として、意識的にコントロールしようとしたものだと考えます。エルスターはこのような主体的、自律的な「選好形成」を「適応的選好形成」と区別して「性格設計」と呼んでいます。

典型的な思想として、孔子の「中庸」が挙げられますが、幸福論の始祖に擬せられるアリストテレスの哲学においても、その倫理学の中核と言える「メソテース(μεσοτης=Mesotes)」は非常に共通性が高く、事実、日本語訳として「中庸」が当てられています。英語では「中庸」を指す言葉として「happy mean」があてられるのは興味深いですね。

いずれも際限のない欲求のエスカレートを否定し、身体的不摂生、暴飲暴食、肉欲の放縦を戒める点では共通しています。多くの思想や宗教に共通する考え方ですが、典型的なのは古代ギリシア、ストア派の哲学でしょう。ストイックという言葉は、我々の日常会話で普通に用いられていますね。ストア派の哲学は「禁欲主義」と一般的に訳される通り、次元の低い欲求の抑制をその中核に据えています。

「中庸」やストア派の思想は、「選好形成」を自覚的に行い、「性格設計」として自己統制することにより、「選好形成」を積極的に活用しようというものだと考えます。その過剰な発現を抑制し、「性格設計」として、自覚的に健全な精神のコントロールを目指す思想は多くの人々にとって有用なものだと思います。

ただし、非自律的な「適応的選好形成」も、自律的な「性格設計」も、欲求の達成能力を高めるよりも、欲求対象と達成水準を抑制することで幸福度を高めるという働きに変わりはありません。その意味では「性格設計」のデザインがあまりにも消極的、現状追認的であると、人間にとって望ましい成長や、望ましい社会変革、組織変革を阻害するという副作用もあります。その意味ではマルクスが「宗教はアヘンだ[i]」と言ったのも、一面の真理を語ったものと言えるでしょう。

「性格設計」の条件

とはいっても、ある人の「幸福だ」と言う心理が、避けるべき「適応的選好形成」か、肯定的にとらえるべき「性格設計」なのかという判断は、どういう基準で決まるのかというのは、難しい問題です。「適応的選好形成」と言っても純粋に無意識的な判断ではなく、本人が妥当だという判断をしているからです。

筆者は、両者の違いを次のような基準で判断するべきだと考えます。

①客観的事実の正確な認識

例えば、低賃金にあえぐ従業員が「社長も経営が苦しい中で、精一杯給料を出してもらっている。この不景気で仕事があり、なんとか暮らせるから幸せだ。」と思っているが、実際は社長が不正会計を行い脱税による所得隠しで従業員を不当に搾取している場合等です。どんな選好形成も客観的事実を正確に認識することから出発しないと、虚偽に基づく幻の幸福の追求ということになってしまいます。

②倫理的に正しい基準

「適応的選好形成」が、倫理的に許されない状況を追認するものであれば、それは好ましくない選好形成と考えます。例えば、夫のひどいDVに遭っている人が「辛い時もあるけど幸せだ」と思ってしまう場合等、自分を幸福と合理化することによって救済や問題解決を遅らせてしまう場合があります。

③成長と変革への意欲

いくら本人が幸福な気持ちになれるからといって、現状に満足にすることに終始し、自己成長や職場組織社会の変革を一切放棄するというのでは幸福は人間を小さい殻に閉じ込めるだけの幻惑に堕してしまいます。

変革の可能性は判断が難しいものですが、あまりにも現状追認的で成長や変革の可能性を萎縮させるような選好形成は望ましくないと考えます。(松島 紀三男 イーハピネス株式会社 代表取締役)
前の記事↓
https://e-happiness.co.jp/adaptive-preference-formation-sour-grapes/


[i] K.マルクス『フォイエルバッハ・テーゼ』

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