「ES(従業員満足度)調査」への疑問
ES(従業員満足度)調査の不都合なデータ
本書は「従業員幸福度(EH)」をテーマにしていますが、そのきっかけとなった問題意識は「ES(従業員満足度)調査」で解明できることに限界を感じたことからでした。前々職の経営コンサルタント会社で、長年「ES(従業員満足度)調査」をはじめとして、調査の実施を担当していました。ES 調査自体はご好評をいただくことが多かったのですが、経営者やスタッフから疑問の声もいただいたことを記憶しています。
主な疑問は「思ったよりも満足度が低い」というものでした。「うちは業界最高水準の賃金、労働条件を提供しているのに、こんなに不満が多いのはどういうことか?」「非常に活性化しているはずなのに満足度が低いというのはどうしてなのか?」など、経営者や人事スタッフからご指摘を受けたものです。
「満足度が低いということは、問題意識が高いということでもありますから」などと説明をしていましたが、そういう説明自体「満足度」の回答に二つの意味、尺度を含んでいることになり、不適切なことは明らかです。そもそもそ「満足度」で何でも測定しようということに無理があるのではないか、「満足度」以外に測定、可視化すべき重要な価値があるのではないか、という問題意識を抱くようになりました。
「満足度」が高いのはいいことか?
そもそも「満足度」が高いというのは、いいことばかりとは言えないのではないでしょうか。先に「満足度が低いということは、問題意識が高いということ」というふうに、しばしば説明をしていたことを述べました。逆に言うと、満足度が高いということは、問題意識が低い(全てとは言いませんが)とも言えるわけです。
たとえば、社員全員の「ES(従業員満足度)調査」のデータが、満点と言えるほど高い会社があったとしたら、みなさんはどう思われるでしょうか。社員にとって仕事、賃金、労働条件、福利厚生、上司や職場の雰囲気など、非常に充実している会社であることは間違いないにしても、私ならば「この会社、大丈夫かな?」「あまりに現状に満足しすぎて、このままでは、この先衰退するのでは?」と、直感的に思ってしまいます。あくまで直感ですが、経験的に実際そういう企業の事例は多いのです。どういうことでしょうか。
社員の大半が事業の実績、処遇その他の現状に満足しているということは、事業のライフサイクルでいえば、山の頂点、成熟期に位置していることを意味します。事業がその段階にある会社というのは非常に収益性が高く、社員の処遇も充実させる余裕があります。また、事業の展開も一見、順風満帆だと「これでいいんだ」「我が社を脅かすライバルなどいない」なとどいう慢心も生じやすいものです。
しかし、クライマックスは永遠に続かないというのが、自然の摂理です。成熟の頂点にあるということは、そのままいけば、あとは下り坂になるだけです。現状に満足しきっていたとまでは言いませんが、現状を否定するような危機意識が足りなかった企業が、リーダーの地位を転げ落ち、新興の企業にその座を奪われたり、自社の中核となる事業や商品を陳腐化させるようなイノベーションによって衰退したりする例は枚挙に暇がありません。
従業員個人のキャリアでも同じことが言えます。「満足」というのは人間の心を平穏にするはたらきもあり、良いことも多いのですが、自己の現状に満足しきっていては、能力や人格的な成長は止まってしまうでしょう。
著名な経営学者のP.ドラッカーがこんなことを言っています。
他の者が行うことについては満足もありうる。しかし、自らが行うことについては、つねに不満がなければならず、つねによりよく行おうとする欲求がなければならない。
(ドラッカー名言集)[i]
また、J.S.ミルは、「幸福」と「満足」が非常に異なる観念であることを指摘した上で、以下のように述べています。
満足した豚であるより、不満足な人間であるほうがよく、満足した馬鹿であるより不満足なソクラテスであるほうがよい[ii]。
It is better to be a human being dissatisfied than a pig satisfied; better to be Socrates dissatisfied than a fool satisfied.
(J.S.ミル、『功利主義論』)
すなわち「満足度」が高いことが、必ずしもいいことばかりではないのみならず、むしろ弊害さえあること、「満足度」の低さ=「不満」を持つことの積極的意義を、両者は指摘しているのです。
このように見ていくと、従業員の状況を測定する経営指標として「満足度」を用いることの問題点がおわかりいただけると思います。少なくとも「ES(従業員満足度)」を、単純に「ESは高いほどよい」という基準で用いること、ESを万能の指標として代表させることには、大きな問題があることはご理解いただけると考えます。 (松島 紀三男)
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